ケータイ辞書JLogosロゴ 竹町(中世)


新潟県>刈羽村

鎌倉期から見える地名越後国刈羽郡のうち貞応元年かと思われる年月日未詳の鎌倉将軍家(藤原頼経)政所下文に,「越後国原田保内竹町」と見える(善照寺文書)康安2年2月9日,「同(原田)保内竹町分田事 一,八十苅〈坪本 一□御前作〉」が藤原為顕から原田正寿寺へ寄進された(同前)寛正2年6月12日,竹町内の道金名田4分の1と野やちが,赤田の斎藤清信から善照寺へ売渡されたが,それは,翌年7月の斎藤定信名田坪付注文に見える北向の大つほ・そり田・米作・十二田・わせ田・とひわたり・ひゑ田など5貫550文の地であったと考えられる(同前)斎藤氏から同寺に対しては,以後,寛正3年7月25日一ノ堰,同年11月24日道厳名田,同6年2月5日貴船田,同年5月27日諏訪田,応仁元年12月23日ふしや田など,竹町内の地が売渡・譲渡されており,文明10年12月18日の善照寺増珎寺領段銭等注文に「〈斎藤分〉惣領分二町三段,此内竹町一町一段半」と見える(同前)近世,上高町村・下高町村となる
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7311914
最終更新日:2009-03-01




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