ケータイ辞書JLogosロゴ 田村新田(近世)


新潟県>大潟町

江戸期〜明治16年の新田名頸城【くびき】郡のうち日本海沿岸,潟町砂丘(犀浜砂丘)に近接する大潟の新田開発により延宝6年成立大潟24か村の1つはじめ高田藩領,天和元年幕府領,文化6年からは高田藩領村高は,「天和高帳」243石余,「天保郷帳」255石余大瀁・中谷内・大潟四度御竿入高帳(頸城村大島家文書)によれば,天和2年の反別田19町余・畑2町余,家数10(本家4・無高6)・人数37,馬3大潟24か村は,成立以来潟川の水はけの悪さに苦しんだ宝暦元年の地震で潟川が埋まり,24か村は水没,復旧のため同7年大潟24か村は自普請で潟町砂丘を切り開き日本海への排水路(新堀川)を完成させたが,直後の大洪水で両岸が崩れ使用不可能となった天保6年再度新堀川を開削,同9年新堀川維持運営のため行野浜村に会所を設立さらに同12年新堀川管理のための潟守新田を置いた(頸城村史)当村の笠原氏は下増田新田の大竹氏とともに,新堀川開削に尽力した(大瀁郷新田開発史)神社は神明宮幕末,笠原文右衛門が私塾磨不隣堂を開設明治5年郷学校が開校同12年からは中頸城郡に所属同16年潟田村の一部となる
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7312126
最終更新日:2009-03-01




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