ケータイ辞書JLogosロゴ 津川町(近世)


新潟県>津川町

 江戸期〜明治22年の町名。蒲原郡のうち。会津藩領。高は,文禄3年高目録帳には町分と見え882石余,「元禄郷帳」987石余,「天保郷帳」1,368石余。延享9年の家数285軒(居屋敷寸尺帳)。文化初年頃の戸数294,寺社は住吉神社・腰王神社・伊勢宮・新善光寺・玉泉寺・密蔵院・正法寺があった(新編会津)。玉泉寺には寛永13年没の淳海上人の即身仏(ミイラ)が安置されていたが,明治13年の津川町大火で焼失。会津藩の支城津川城が置かれ,その城下町であったが,寛永4年廃城となった。以後,城下町の機能は失ったが,新潟湊から津川までの阿賀野川水運と津川〜会津若松間の会津街道の2つを結ぶ水陸の中継地となり,宿場町・川湊町として発展した。阿賀野川水運は「津川船道」と称し,津川に会津藩の船番所が置かれた。この水運を津川から会津若松まで延長すべく十数回にわたって阿賀野川改修工事を行ったが,急流のため成功しなかった。津川町は江戸期を通じて8回の大火に見舞われたが,慶長15年には正法寺を残して町のほとんどを焼失した。翌年町の形が整えられ,本町内173軒はすべて板屋根として商売を許し,端町は板屋根・商売ともに許可しなかった。小川荘内の酒造は酒箒24本と定められ,津川町にのみ認められた。寛文3年に六斎市が開設された(津川姿見)。明治8年の戸数418・人口2,026(若松県管内地誌)。同12年東蒲原郡に所属。同22年市制町村制施行による津川町となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7312278
最終更新日:2009-03-01




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