ケータイ辞書JLogosロゴ 土川村(近世)


新潟県>小千谷市

 江戸期〜明治22年の村名。魚沼郡のうち。土河村とも書く(正保国絵図)。元和2年幕府領,同4年高田藩領,天和元年からは幕府領。村高は,「正保国絵図」67石余,「天和高帳」244石余,「天保郷帳」272石余。天和3年検地帳では田16町余,畑・屋敷3町余うち屋敷6反余。延宝年間の流行病で,草分け庄屋横山久左衛門家では主な者5人が死亡,山岸久三郎に庄屋株を譲った(横山家文書)。割地制が採用され,文化7年番水規定が設けられた(山岸家文書)。文政8年の家数48・人数246,馬11,鎮守は御朱印地弥彦明神,社人1,ほかに牛頭天王がある。また郷蔵1,用水堰2,板橋3,稲草は四国・万七・本名・越前餅など,庄屋は弥左衛門,与頭は弥右衛門,百姓代は久右衛門,男は耕作,女は縮織り,近村への道程は小千谷35間,藪川7町,同新田6町,一ノ宮12町,千谷川へ8町(御手鑑書上/小野坂家文書)。明治12年北魚沼郡に所属。同22年城川村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7312323
最終更新日:2009-03-01




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