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- 寺分村(近世)とは
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寺分村(近世) 江戸期~明治初年の村名武蔵国久良岐【くらき】郡のうち「元禄郷帳」「天保郷帳」では「六浦」を冠称三浦半島北東部,東京湾岸に位置する村名は,足利持氏の祈願所常福寺の寺領であったことによる寛永10年・元禄10年ともに幕府領,幕末は金沢藩領村高は,「田園簿」では「六浦寺分」と見え81石余,うち田57石余・畑23石余,「元禄郷帳」「天保郷帳」では「六浦社家分村」と見えともに83石余,「旧高旧領」では社家分村・平分村とともに635石余,ほかに瀬戸明神除地5石余「田園簿」によれば,塩49俵余の塩場役があった「新編武蔵」によれば,江戸より12里余,家数32軒,農間余業は製塩・漁猟,特産品はモズク,神社は山王社など,寺院は真言律宗常福寺・真言宗宝樹院など村内を鎌倉往還が通る明治4年六浦県を経て神奈川県に所属明治元年の戸数53(横浜農村明細帳/横浜市史1)明治初年三分村の一部となる |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
寺分村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
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