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- 十日市村(近世)とは
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![]() | 十日市村(近世) 江戸期~明治10年の村名因幡【いなば】国智頭【ちず】郡のうち千代【せんだい】川支流土師【はじ】川の中流域の段丘状斜面に位置する地名は,往古毎月10日に市がたったことに由来する(文化誌智頭)鳥取藩領村高は,拝領高70石余,「元禄郷村帳」70石余,「天保郷帳」81石余(うち新田高10石余),「元治郷村帳」86石余,「旧高旧領」91石余元禄の本免は6.6,「元治郷村帳」の物成は40石余戸数は,「因幡志」10,「文久3年組合帳」6隣村の山田村へ3町(因幡志)天明・寛政期の古田家文書によると,田畑畝数5町6反4畝,土代2石・1石3斗,高87石5斗3升6合(うち畑高3石2斗9升2合),物成55石2斗9升6合,請免6割6分,家数6・人数38,牛5,運上銀13匁8分(智頭叢書)地内に新屋・門前という小字があり,かつて新屋紋善という武士が居住していた場所と伝えられる安永8年土師谷村々困窮のため人数も少なくなり,藩から子供の養育費として7歳まで年に米1俵ずつ10か年支給されることになった(県史9)文政10年には御立山となる氏神は若一王子権現当社の祭神は大山祇命・宇賀魂命・忍穂耳命社伝によると紀伊国熊野神社本宮より勧請したという往古より手・肩・腰などの病を治す信仰があり,信者が木片・紙などで造った多くの手形を奉納している明治5年宮国神社と改称ほかに3体の阿弥陀を本尊とする辻堂がある(因幡志)明治4年鳥取県,同9年島根県に所属同10年山田村・大坪村と合併して三吉村となる |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
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![]() | 十日市村(近世) 江戸初期の村名礪波【となみ】郡五位【ごいの】荘のうち加賀藩領小矢部【おやべ】川下流左岸に位置する村高など不明当地の曹洞宗三光寺は,寛文13年高岡繁久寺4世によって再興されたが,慶長17年玉泉院(前田利家夫人)より屋敷高3石8斗余を拝領した由緒ある寺院また改作法以前には十村肝煎十右衛門が在村,十村の大組化によって村肝煎となる寛文4年には御鷹狩の節,藩主の御昼休所と指定されたが(川合文書),この頃には柴野村の垣内【かいと】となり,正式村名ではなくなった現行の高岡市柴野のうち... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」