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十日町村(近世)


 江戸期~明治22年の村名...

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[最終更新日:2009-03-01/JLogosid:7312654]
関連項目: 赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世) 

角川日本地名大辞典(旧地名編)

日本地名大辞典に収録されているものの中から、現在以前のものを再編。

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十日町村(近世)

 江戸期~明治22年の村名

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

十日町村(近世)
江戸期~明治9年の村名庄内地方,庄内平野北部,月光川中流左岸に位置する地名の由来は,10・20・30日に市が開かれたことによるはじめ遊佐【ゆざ】郡,寛文4年からは飽海【あくみ】郡のうちはじめ上杉氏領,慶長6年最上氏領,元和8年からは庄内藩領遊佐郷に属す村高は,元和8年の御知行目録では167石余,寛永元年の庄内検地高辻では八日町村と合わせて1,214石余,「天保郷帳」330石余,「旧高旧領」332石余明暦2年の検毛帳(飽海郡誌)では320石余,貞享年間の村組付(同前)では村高324石余,家数31軒,うち御役下25軒享和3年の御郡中村数家数人高控帳(遊佐町,斎藤家文書)によれば,家数41軒・人数185幕末期の「弐郡詳記」では,免6ツ,家数37軒下長橋村から当村への間に一里塚があり,そこから村入口までの間2丁20間(正保庄内絵図)貴福神社は平田郷新山から勧請したもので,大己貴命を祀り,村では毘沙門様として崇敬している同社の境内には文政7年の月山・湯殿山・羽黒山の鉄門上人石碑がある当村には里仁堂と称する医師がおり,寛文6年没の安哲以来代々医業を継いだまた明治元年酒造会社を創設し,銘酒日の出山を製造した小三郎も当村の者である(遊佐町史資料5)鶴岡県を経て明治9年山形県に所属同年六日町村ほか4か村と合併して遊佐町村となる...

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

十日町村(近世)
 江戸期~明治22年の村名...

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

十日町村(近世)
 江戸期~明治22年の村名...

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十日町村(近世)
 江戸期の村名...

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

十日町村(近世)
江戸期~明治8年の村名会津地方中部,阿賀川(大川)西岸に位置する河沼郡のうち会津藩領青津組に属す村高は,文禄3年の蒲生高目録では稲川郡に属し203石余,寛文9年203石余,文化15年の村日記(県史10下)では202石余,「天保郷帳」「旧高旧領」ともに203石余慶長16年の会津大地震以前は村内を越後街道が通っていた化政期の家数7軒(新編会津)鎮守は大神神社主産物は米明治4年の戸数7・人口43同8年中目村・大添分・京出村・下京出分と合併して五香村となる...

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

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