- JLogos検索辞書>
- 徳田新田(近世)とは
「徳田新田(近世)」の関連ワード⇒ 赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世)
- amazon商品リンク
徳田新田(近世) 江戸期~明治30年の村名美濃国石津郡のうち揖斐【いび】川の支流津屋川流域に徳田村の新田として開発され,津屋川と養老山地の東麓にはさまれた帯状の地に集落があり,水田の多くは津屋川左岸にある大垣藩領村高は「元禄郷帳」は338石「新撰美濃志」には,徳田村枝郷「一色村」を徳田新田ともいうとある明治4年岐阜県石津郡に所属同5年の村明細帳では村高531石余,戸数51・人口205津屋川通堤772間余,橋5か所があり,農間に男女とも山稼ぎをした神社は天神宮・水神など3社,寺院は真宗東派皆善寺中山道今須宿の助郷を勤めた当村より岐阜へ8里余の道程同5年8月徳田村に編入され,同13年岐阜県下石津郡に所属同14年再び分離し旧に復する同24年の濃尾地震では全戸数47のうち半壊36(震災誌附1)同30年海津郡城山村の大字となるが,翌年戸田と改称する |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」