ケータイ辞書JLogosロゴ 栃窪新田(近世)


新潟県>塩沢町

 江戸期〜明治22年の新田名。魚沼郡のうち。元和2年長峰藩領,同4年高田藩領,天和元年からは幕府領。村高は,「正保国絵図」23石余,「天和高帳」73石余,「天保郷帳」114石余。慶長年間の領主堀氏は,住民の国外逃亡を防ぐために当地に口留番所を設置,厳しい取締りを命じている。また,元和4年高田藩は重要状文を継送りするために,当新田の諸役を免除した。妻有・頸城【くびき】・刈羽へ通じる道路があり,荷物の継送りや通行人の便宜をはかるために旅籠屋もあってにぎわった。天和3年検地では,屋敷数4。文化14年の家数48・人数257。神社は十二神社,御神像2体は文化2年木喰上人作という。また薬師堂がある。明治10年の戸数62・人口274。同年栃窪小学校開校。同12年からは南魚沼郡に所属。同22年市制町村制施行による栃窪新田となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7312739
最終更新日:2009-03-01




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