ケータイ辞書JLogosロゴ 長畝村(近世)


新潟県>新穂村

 江戸期〜明治22年の村名。加茂郡のうち。幕府領。村高は,元禄7年検地帳551石余,「天保郷帳」559石余。元禄7年検地帳では田449石余・30町余,畑75石余・10町余,屋敷26石余・2町余。「巡村記」では,天保12年の家数55・人数226,高559石余,田36町余・畑14町余,取米187石余。寛文年間,相川の山師川上五郎右衛門が当村に帰農。自作農が多く,能謡・生花・連歌などが発達。寺社は,観音院・蓮法院・白山権現社。明治10年谷塚村・弐方潟村を合併,明治初年は大工4・桶屋2・酒造業5・馬車引3のほか提灯屋・畳屋・豆腐屋・床屋・髪結・瓦屋・麹屋・質屋・左官・木挽・下駄屋・両替屋・つぼさし・井戸掘りと職人が多かった(新穂村史)。明治15年の戸数217・人口927。同22年市制町村制施行による長畝村となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7312909
最終更新日:2009-03-01




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