ケータイ辞書JLogosロゴ 中尾村(近世)


新潟県>松之山町

 江戸期〜明治22年の村名。頸城【くびき】郡のうち。はじめ高田藩領,天和元年からは幕府領。村高は,「正保国絵図」27石余,「天和高帳」38石余,「天保郷帳」74石余。天和3年の検地では,青苧畑3反余,漆木64本。同3年高附手鑑覚控によれば,家数16うち名子3,藤倉村勘兵衛の懸持田4石余がある。また,堰2か所が記録され,うち1か所は伝説の鏡ケ池である。青苧売掛けを商った与五右衛門(吉池屋)は頸城・中魚沼の両郡21か村を相手に売掛金滞納につき訴えを起こしている。同人は縮布商いも行い,江戸に出て諸藩の家中に出入りしている。享保年間の大地滑りで家屋・田畑の大半に被害があり,復旧工事は天保年間まで継続された。天明3年・天保8年に飢人夫食米拝借願をしている。神社は十二神社。慶応4年戊辰戦争の時に犬伏宿助郷として人足403人が出役した。明治12年からは東頸城郡に所属。同22年布川村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7312919
最終更新日:2009-03-01




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