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- 中在家村(近世)とは
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中在家村(近世) 江戸期~明治8年の村名中之在家とも書いた(蒲生高目録)会津地方中部,宮川の最上流に位置する大沼郡のうち古くは尾岐郷に属したはじめ会津領,寛永20年からは南山御蔵入領冑組に属す村高は,文禄3年の蒲生高目録では23石余,文化15年の村日記(県史10下)および「天保郷帳」「旧高旧領」では26石余小名に中畑がある化政期の家数は本村5軒・中畑3軒(新編会津)神社は熊野宮明治4年の戸数9・人口46(若松県人員録)同8年下谷ケ地村ほか2か村と合併して松坂村となる |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」