ケータイ辞書JLogosロゴ 中沢村(近世)


新潟県>越路町

 江戸期〜明治22年の村名。三島【さんとう】郡のうち。中沢新田・中沢外新田とも称し,明治13年からは中沢村と称した。寛延元年道半村の山本喜五郎が北蒲原郡紫雲寺村の中沢太郎左衛門の協力を得て開墾,明和元年一村として成立。はじめ淀藩領,天明6年幕府領,寛政元年からは長岡藩領。村高は,「天保郷帳」482石余。越後では広く割地制度が行われたが,当村にも明和2年百挺前割規定証文などが残る(県史資料編7)。寛政元年幕府領から長岡藩領への編入に伴い,貢租などの増大を不満として同3年一揆が起き,当村も参加している(県史通史編4)。天保の大飢饉では栃尾郷などで凶作の影響が大きく,当村の山本仁之進は藩に備蓄用籾3,000俵を献上するなど飢人の救済にあたったという(長岡の歴史2)。安政5年牧野家領地七ケ組村名反別戸数一覧表(長岡の歴史2)によれば,川西組に所属,高514石余,家数45。明治22年中野島村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7313018
最終更新日:2009-03-01




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