ケータイ辞書JLogosロゴ 長沢村(近世)


新潟県>下田村

 江戸期〜明治22年の村名。蒲原郡のうち。はじめ村上藩領,寛永16年安田(村松)藩領,明治3年からは新発田【しばた】藩領。村高は,「正保国絵図」「元禄郷帳」ともに330石余,「天保郷帳」367石余。長沢組大庄屋が置かれ,はじめ刈谷家,一時安井家が兼帯し,宝暦8年から宮島家が勤め明治期に至った。下田村から見附へ抜ける街道に沿い宿場が形成され,荷継ぎ問屋が置かれた。肝煎は正徳年間から享保年間まで藤崎市郎兵衛,享保年間から寛保年間まで刈谷家,寛保年間から文化6年まで善六,文化6年から刈谷家となった。天文7年開基の真言宗宝積院がある。鎮守は白山社。明治5年宮島清衛宅を借りて志道舎という塾が開かれ,学制発布とともに学校としての認可を申請,同7年長沢校として正式に開校した。同12年南蒲原郡に所属。同21年の戸数70・人口469。同22年長堀村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7313027
最終更新日:2009-03-01




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