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- 中島新田村(近世)とは
「中島新田村(近世)」の関連ワード⇒ 赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世)
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![]() | 中島新田村(近世) 江戸期~明治11年の村名尾張国中島郡のうち中丸淵新田村から分村して成立分村年代は不詳日光川中流右岸の低地地名は,周囲を甲新田と中丸淵新田にとり囲まれた村域を中の島と見立てたことによる尾張藩領北方代官所支配村高は,「天保郷帳」66石余,「旧高旧領」98石余天保12年の村絵図によれば,本田の概高98石余で,一円松井源三郎の給知,反別は田2町余・畑4町余,家数38,うち高持34・無高4,人数164,馬1農間余業の織屋は天保15年頃に4(桟留縞9桁)森上井筋井組・萩原古川(日光川)悪水井組に属す天保11年寺子屋塚北堂設立,生徒数は男60・女7鎮守は白山社明治11年三丸淵村の一部となる |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 中島新田村(近世) 江戸期~明治8年の村名水内【みのち】郡のうち鍋山の西麓に続く平地に位置する地名の由来は,集落が平地の中の島状の台地に立地していることによるはじめ幕府領,天和2年坂木藩領,元禄15年からは幕府領(明和5~7年越後高田藩預り地)村高は,延宝8年の検地で82石余(信濃町誌),「元禄郷帳」も同高,「天保郷帳」94石余,「旧高旧領」は中島村と見え同高寛文8年の水内郡長沼領等村々・幕府領新田総百姓入会山出入訴状(県史近世史料7-2)に中島新田として見える明治元年伊那県,同3年中野県,同4年長野県に所属同8年の戸数20・人口93同年穂波村の一部となる... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 中島新田村(近世) 江戸期の村名上総国山辺郡のうち南白亀川中流左岸に位置する中島村・東中島村ともいう「東金御鷹場旧記」では福俵組に属し,旗本渡辺氏領,「上総国村高帳」では与力給知,「旧高旧領」でも変わらず村高は,「元禄郷帳」「天保郷帳」「旧高旧領」ともに18石余「上総国村高帳」では家数3神社は保食神社慶応3年望陀郡の中島村と区別するため東中島村と改称したともいう(山武郡郷土誌)... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 中島新田村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」