ケータイ辞書JLogosロゴ 長潟新田(近世)


新潟県>新潟市

 江戸期〜明治22年の新田名。蒲原郡のうち。横越村の枝郷。寛永17年加賀国細坪村の仁兵衛・清蔵など8人が移住開発という(中蒲原郡誌)。新発田【しばた】藩領。村高は,「元禄郷帳」に横越村枝郷として98石余,「天保郷帳」でも横越村枝郷として565石余。農間には鳥屋野潟で漁業も行っていたと思われる。鳥屋野潟に隣接するため耕地は低湿となっている。当初地内に矢敷・中矢敷に人家ができたが,のち現在地に移転したと伝える。また,地内清五郎は開発者の名にちなんだものという。名主は,寛政年間頃まで槙坂家,享和年間頃からは小林家が世襲。鎮守は諏訪社・神明社,ほかに清五郎に諏訪社・神明社・春日社(のち明治22年合祀,三徳神社となる)。明治5年の戸数92・人口604。同年咸享舎(山潟小学校の前身)設置,同7年に長潟校と改称,同9年に姥ケ山村に移転。同12年中蒲原郡に所属。同22年山潟村の大字となる。
解説文を自分にメール
メアド:Milana@docomo.ne.jp

(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7313138
最終更新日:2009-03-01




ケータイ辞書 JLogosトップ