ケータイ辞書JLogosロゴ 中野原新田村(近世)


新潟県>下田村

 江戸期〜明治22年の村名。蒲原郡のうち。中ノ原新田村とも書いた。「旧高旧領」では中野原村と見える。はじめ村上藩領,寛永16年安田(村松)藩領,明治3年からは新発田【しばた】藩領。村高は,「正保国絵図」「元禄郷帳」ともに24石余,「天保郷帳」546石余。享保年間から地内で新田開発が始まり,はじめ下田御新田と称し,安永3年笹岡新田として成立。「天保郷帳」では笹岡新田の高を含む。「旧高旧領」では笹岡新田村が見えることから,同村は幕末期に当村から正式に分かれたとみられる。肝煎は文政6年から坂井吉兵衛。鎮守は神明社。元禄2年に村松中名沢から移転した普化宗明暗寺があったが,明治4年廃寺となった。同7年長沢校の付属校中野原校が設置されたが,同10年笹岡新田村に移転。明治初期村松藩士14戸が移住し,茶や桑の栽培を始めたが多くは挫折し,他の職業につき,残ったのは3戸だったという。明治12年南蒲原郡に所属。同21年の戸数35・人口215。同22年笹岡村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7313218
最終更新日:2009-03-01




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