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- 長浜(中世)とは
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長浜(中世) 戦国期に見える地名大隅国桑西郷のうち天文17年6月,島津忠良・貴久父子が清水城(国分市)に拠る本田董親を攻略して,日向の荘内に退却せしめた後,忠良は樺山幸久を生別府【おいのびゆう】城に訪ねたが,この際,勝利を嘉して当地を長浜と改名したのが始まりという(島津国史,樺山玄佐自記/旧記雑録)早くも天文19年4月吉日付島津貴久宛行状には「長浜城」の名が現れている(雑抄/旧記雑録)弘治元年3月には加治木領主肝付兼演が島津貴久の蒲生氏攻略支援のため「加治木・溝辺・日当山・長浜ノ者共」らを発して帖佐城を攻めている(箕輪伊賀覚書/旧記雑録)蒲生氏没落後の弘治3年4月,当地は樺山安芸守の自領として改めて島津氏の安堵をうけた(同前)「上井覚兼日記」天正4年8月18日条には島津義久の御供衆として長浜の名が見える天正6年9月,島津義久は伊東氏遺臣長倉勘解由左衛門を石城に攻めたが,これに先立って,同月12日「餅田名八日町(現姶良町帖佐)ヨリ長浜之内鳩之脇まで」船で向かっている(大友御合戦日記写/旧記雑録)現在の隼人町小浜の南東部,鹿児島湾に面する集落名として残存している |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
長浜(中世) 室町期~戦国期の港および地名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
長浜(中世) 南北朝期に見える地名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
長浜(中世) 戦国期に見える地名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
長浜(中世) 戦国期から見える地名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」