ケータイ辞書JLogosロゴ 中山村(近世)


新潟県>柿崎町

江戸期〜明治初年の村名頸城【くびき】郡のうち猿毛中山村ともいった柿崎川の上流,猿毛川の合流点と猿毛川の左右両岸3か所に分散して位置する山間に点在することから中山と称したと思われるはじめ高田藩領,天和元年幕府領,寛保2年からは高田藩領村高は,「慶長国絵図」では猿毛中山村134石余,「正保国絵図」190石余,「天和高帳」206石余,「天保郷帳」209石余天和検地では,反別田14町余・畑3町余・山10町余・青苧畑1畝余,漆木680(朝比奈家文書)地内は番場・中島・入りの3坪に分かれ,小字名として法明寺・正観音堂・堂の前・京塚・越し前・白石・石山などがある延享3年村鑑では家数48(本家34・無田14)・人数269(同前)用水は猿毛用水・中山用水・和古用水・三段田用水・越前用水を利用慶安2年猿毛・中山・芋島3か村と水野村との為取替証文では,水野村が米山腰に開いた新田江筋は「三村本田日焼ノ節ハ何時ナリトモ水落シ申スベシ」としているまた,元禄8年以来の水不足のため,猿毛村のみの取水を禁じ両村平等に取り分けることとした(同前)寛延元年定納99貫匁の里蝋穂が不作につき,48貫225匁を翌年回しにすることを奉行所に嘆願している寛政8年黒岩組村々とともに,下条郷蔵までの上納米の運搬は難渋として芋之島分蔵の創設を出願(同前)当地域から産する通称中山石は,建築用材・庭の敷石などに広く利用された鎮守は八幡神社寺院は浄土真宗本願寺派宿願寺ほかに正観音(尼寺)がある明治初年上中山村と改称
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7313398
最終更新日:2009-03-01




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