ケータイ辞書JLogosロゴ 中山村(近世)


新潟県>柿崎町

江戸期〜明治12年の村名頸城【くびき】郡のうち米山の西,米山川より分流する石子川(用水)上流の山あい地名の由来は,立地によるはじめ高田藩領,天和元年藩府領,文化6年からは高田藩領村高は,「慶長国絵図」53石余,「天和高帳」90石余,「天保郷帳」97石余天和検地後とみられる国田組村々明細帳によれば,反別は田6町余・畑2町余・山8町余,溜2,家数11・人数78,馬5・牛4(中村家文書)住人は米作と炭焼きに従事用水は米山川上流中山堰による天保5年中山堰をめぐり,中山・大清水(竹ケ鼻)上2か村と下雁海堰5か村との間に水論が発生,同堰の江幅を前者は3尺5寸,後者は1丈5寸とすることで妥結した(山本家文書)弘化3年五人組帳では,家数21(本家17・名子4)・人数128,馬4・牛2(小熊家文書)用水がかりの悪い山すそは大坊の池・藤の木池・二の沢池・花立の池等を利用嘉永4年中山堰上流に新しい江筋を開いたが,下5か村の抗議をうけ,通水期間を7月21日〜8月10日として原形に復旧することで和解した(下中山区長箱文書)文久年間小熊家で酒造業開始鎮守は諏訪神社明治12年下中山村と改称,あわせて中頸城郡に所属
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7313399
最終更新日:2009-03-01




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