ケータイ辞書JLogosロゴ 鍋潟新田(近世)


新潟県>新潟市

 江戸期〜明治22年の新田名。蒲原郡のうち。鍋潟村とも称した。元禄12年横越組新村年代方角親村付帳(新潟市合併町村の歴史史料編3)は曽川村枝郷,寛永16年開発とする。当村の枝郷に丸潟新田・姥ケ山新田・新浦興野があった。新発田【しばた】藩領。村高は,「元禄郷帳」に楚川村枝郷として105石余,「天保郷帳」でも楚川村枝郷として1,050石余。これらには枝郷の高も含まれていると思われる。延享元年小前高帳(稿本曽野木村誌)によれば,反別は田47町余・畑3町余。名主は享保元年からは斎藤家が世襲。鎮守は神明社。明治5年の戸数68・人口382。同12年中蒲原郡に所属。同22年山潟村の大字となる。なお,明治8年当村から姥ケ山新田と丸潟新田が分離(県市町村合併誌)とあるが,両村は江戸期から一村として把握されていたと思われ,詳細は不明。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7313479
最終更新日:2009-03-01




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