ケータイ辞書JLogosロゴ 西野俣村(近世)


新潟県>栃尾市

 江戸期〜明治22年の村名。古志郡のうち。西ノ俣村とも書く(正保国絵図)。はじめ春日山藩領,元和6年からは長岡藩領。村高は,「正保国絵図」34石余,「天保郷帳」84石余。正保2年の田畑5町7反余,うち田54.8%,上田と中田で総面積の約40%を占めている。中村の西部の落水を用水とし,焼畑切替の所もあり,田之口村と立会の新田江筋もある。嘉永6年郷御成箇免定割付帳一覧では米納35石余,銀納29匁余(栃尾市史史料集租税編)。主たる産業は稲作,産物は炭・蚕・うど,女働きは紬(守門糸車)。江戸中期ころから始まった栃尾紬の生産がかなり盛んに行われていた。また炭村として年貢も炭で納めていたが原木が不足気味であった。家数は,宝永2年18,安政5年から慶応年間にかけて30(栃尾市史別巻2)。寛延3年中村と白木山をめぐって境界争いが起こっている。寺院はないが,鎮守は弥彦神社。戊辰戦争の際には,西谷川東岸のはげ山の上に長岡藩の塹濠があったため,政府軍の攻撃を受け死者も出している。明治22年西谷村の大字となる。
解説文を自分にメール
メアド:Milana@docomo.ne.jp

(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7313706
最終更新日:2009-03-01




ケータイ辞書 JLogosトップ