ケータイ辞書JLogosロゴ 西名村(近世)


新潟県>守門村

 江戸期〜明治22年の村名。魚沼郡のうち。元和2年長岡藩領,同4年高田藩領,延宝9年幕府領,文久元年からは会津藩領。村高は,「正保国絵図」46石余,「天和高帳」43石余・新田28石余,「天保郷帳」では西名新田を除いて86石余。延宝2年高軒見出指出帳(穴沢家文書)では家数9。天和3年検地帳では田3町余・畑9反余。宝暦9年村明細帳の家数32・人数194,馬2。農業のほか,男は材木を切り出して商い,女は縮・白布・紬を織り養蚕を行う。木挽役・山役を納入。山漆木があり,山蝋実・里蝋穂は領主の買上げ。鎮守は守門大明神・諏訪大明神・十二山神。慶応4年春,村役人は郷兵・村兵として小出島陣屋に徴集され,閏4月27日の小出島戦争に従軍した。明治5年の租税は,本途米24石余,山手税9升余,木挽税8銭余,川税5銭・小役28銭余。同12年北魚沼郡に所属。同21年の戸数52・人口240。同22年上条村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7313728
最終更新日:2009-03-01




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