ケータイ辞書JLogosロゴ 蓮潟新田(近世)


新潟県>聖籠町

 江戸期〜明治22年の新田名。蒲原郡のうち。「聖籠町誌」によると康平年間頃の開発,「県農地改革史資料」には宝徳3年以前の開発とあるが,八万苅郷を中心に草原と池沼が多く開墾が困難で,本格的な開発は承応元年の新発田川改修にともない新田開発が進められたことによる。ただし,「元禄郷帳」には当村名が見えない。新発田【しばた】藩領。村高は,「天保郷帳」429石余。「加治川治水沿革史」「聖籠町誌」によると,蒲原水面の一隅にあり,加治川の本流が聖籠の低地に流されて,洪水の時は城西一帯が湖のようになったが,承応元年3代藩主溝口宣直が幕府に請うて蓮潟に新河を開き内島見に導いた。その後もしばしば水害に見舞われたが,享保6年紫雲寺潟開発の工事に伴い,加治川再改修の必要から享保12年蓮潟二ツ山を開削して現在の運河に沿って堤防を築き,蓮潟の河口を塞ぎ,水路をこれに導き松ケ崎潟に注いだ。この川跡の整理・開墾などで住民も増加し,美田ができた。天和3年御領内検分之書付(貴船家文書)によれば,家数15・人数96。延享元年石高并諸品改帳(斎藤家文書)によると,1人当たり所有石高は8斗8升。河内神社・八幡社・神明宮,曹洞宗宗竜寺などがある。明治2年家人高目録(斎藤家文書)によれば,家数157(本家18・名子106・間脇33),人数864。同12年北蒲原郡に所属。同15年戸長役場統計によれば,本籍183戸・人口1,072,税地は田270町余・畑55町余・宅地10町余・林野38町余・水面3町余・山30町余・墓地3反余。同22年市制町村制施行による蓮潟新田となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7314004
最終更新日:2009-03-01




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