ケータイ辞書JLogosロゴ 蓮潟興野(近世)


新潟県>聖籠町

江戸期〜明治19年の村名蒲原郡のうち新発田【しばた】川右岸地名の由来は,蓮潟村の人が当地に移住して開発したことにちなむというなお,延享元年に俵柳村二宮間兵衛の次男九兵衛が当地に移住してから開発が進んで発展したと伝える新発田藩領村高は,享和3年御領分組々村別石高庄屋名主名前帳(菱田家文書)で217石,「天保郷帳」598石余,「旧高旧領」382石余代々名主を勤めた二宮九兵衛は幕末には300町の大地主となったまた,同家は金子新田の白勢長兵衛所有地を管理する差配でもあった二宮家5代九兵衛(初代孝順),6代二宮敬太郎(2代孝順),7代二宮孝徳(3代孝順)など歴代当主は教育功労者で,初代孝順は明治6年に蓮野小学校の前身である明徳塾を開設して塾主となり,同17年の蓮潟興野校の移転改築竣工式に永山県令を迎えて盛大な開業式を挙げた2代・3代孝順は財産を固め,最盛期には1,000町歩余という巨大地主となり,村内の学校などの新・増・改築の全額寄付をはじめ図書や施設などの寄付を惜しまなかった鎮守は蓮野に厳島神社,杉谷内に神明社,甚兵衛橋に河内社・神明社また,蓮野に浄土真宗蓮明寺,杉谷内に浄土真宗本願寺派常教寺がある明治12年北蒲原郡に所属同19年蓮野村の一部となる
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7314012
最終更新日:2009-03-01




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