ケータイ辞書JLogosロゴ 刃物鍛冶町(近世〜近代)


新潟県>上越市

江戸期〜昭和5年の町名江戸期の高田城下の町人町の1町明治初年〜明治44年は高田を冠称高田城北西部に位置する加賀街道沿いに町並みが走る地名は刃物鍛冶が集住したことに由来する福島城下から移住して町を形成のち,藩主の移封とともに移住した者も加わる町の発展に伴って元新鍛冶町と鍛冶町の2町となるこののち両町合わせて刃物鍛冶町と称するようになる寛保2年の家数60刀工中,有名なのは兼広で,寛文年間に越後高田住兼広の銘で刀を打ったまた,宝永年間戸田家の刀鍛冶に正広がおり,銘を越州高田住橘正広と打った文政年間には一清・貞輝の刀工がいた寺院は天台宗福泉院・宝積院(廃寺)がある明治21年の戸数99・人口303同22年高田町,同44年からは高田市に所属大正2年の戸数86昭和5年北本町1〜4丁目となる
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7314139
最終更新日:2009-03-01




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