ケータイ辞書JLogosロゴ 早川村(近世)


新潟県>村上市

 江戸期〜明治22年の村名。岩船郡のうち。はじめ村上藩領,寛永19年幕府領,正保元年村上藩領,宝永6年幕府領,同7年村上藩領,享保2年からは再び幕府領。村高は,「慶長国絵図」では早河村43石余,「正保国絵図」150石余,万治2年検地帳157石余,「元禄郷帳」144石余,「天保郷帳」160石余。万治2年検地帳では,反別田8町余・畑6町余・山林2町余。寛政11年書上帳の家数119,人数607,牛6。文政11年大火で全村焼失。天保3年角長(長門屋次郎右衛門)の持舟新五社丸は江差(現北海道)を出帆後難風に遭い,ハワイへ漂着,船頭惣吉外6名はアメリカの船でアリューシャンへ送られ,さらにロシアの船で帰国した(札幌博物館資料)。寺院は,曹洞宗早川寺。境内に観音堂がある。神社は石動神社。明治22年上海府村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7314143
最終更新日:2009-03-01




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