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半田村(近世)


 江戸期~明治22年の村名...

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[最終更新日:2009-03-01/JLogosid:7314209]
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角川日本地名大辞典(旧地名編)

日本地名大辞典に収録されているものの中から、現在以前のものを再編。

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半田村(近世)

 江戸期~明治22年の村名

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

半田村(近世)
江戸期~明治12年の村名都賀郡のうち足尾山地の南部が関東平野に連なる付近,小倉川(思川)左岸の沖積地に位置する縄文時代の遺跡に沢・牧場・柳原・医王寺裏遺跡があり,早期から後期にかけての土器片が出土また弥生後期の土器片や古墳時代の土師器片も地内で採集されている(粟野の歴史)字沢坪の真言宗東高野山弥勒院医王寺は,天平神護元年勝道上人が日光開山の途次この地に一宇を建立したことに始まり,のち正中2年西方遠江守が七堂伽藍を造営したと伝える古刹で,正長2年願主国吉銘の銅製鰐口をはじめ多数の県重要文化財を保有する(医王寺記録)江戸初期と推定される年月日未詳の報恩院末帳に京都の醍醐寺報恩院の末寺として「野州都賀郡半田村医王寺」と見える(醍醐寺文書/県史中世4)小田原北条氏滅亡後下総結城領となったと伝え,その後幕府領,大名領,幕府領を経て,寛永16年壬生【みぶ】藩領,明暦2年頃旗本三浦氏知行,宝暦元年幕府領,同13年からは下総佐倉藩領但し天明8年から寛政10年まで,堀田正順の大坂城代勤めで高271石が一時幕府領となる村高は,「慶安郷帳」665石余(田444石余・畑220石余),ほかに医王寺領45石余,「元禄郷帳」715石余,「天保郷帳」1,005石余,「旧高旧領」では1,006石余「改革組合村」では楡木・奈佐原宿組合寄場に属し,天保年間の家数110寛文12年の年貢割付状によると,1反当たりの取米永は上田6斗7升5合,中田6斗3升・下田5斗5升,上畑130文・中畑117文・下畑100文(塩沢家文書)元禄7年の田畑御物成御勘定目録では田反別52町8反余・畑反別54町余(同前)宝暦2年の村明細帳によると,寛文2年・同13年に三浦越中守が検地,村高955石余,反別は田55町余・畑52町余,家数159・人数699(男388・女311),大工4・桶屋2,50石の造酒屋1,馬81疋,うち40疋は米津出し御用を勤める畑で大麦・小麦・芋・麻・煙草・大角豆・蕎麦・稗・粟・菜・大根が栽培され,1反当たりの種蒔量は大麦8升,小麦4升,麻4升くらい,また煙草は反当2,000本,芋は4俵くらい植えて夫食にあてる肥料に干鰯・小糠・馬屋肥・粕を用いる薪・落葉は慣例で医王寺境内朱印地で勝手次第もらい,秣は村上の野山で採る上半田は大芦川が欠込み,下半田裏で大芦川と粟野川が落ち合い小倉川になるため,水押永荒地も多く,人数の割に田畑・野場不足で,隣村の田畑を年切りに小作したり,質地に取って渡世し,農間に男は薪取りで生計を補っている奉公人年季は11月15日から翌年11月15日までで,身代金は2~5両,給金は男1~2両・女1~1両3分小物成に麻・綿・荏・大豆があり,代永納であるが,元禄年間から壬生通楡木宿の定助郷となったため日光御成法会の節は小物成免除真言宗東高野山弥勒院医王寺は朱印高50石を有し,境内に一乗院があるほかに神護山吉蔵院神照寺・無住慈眼院があったが,ともに廃寺となる神社は足摺大明神(社僧神照寺)・五霊明神(社僧一乗院)がある寛政12年の村明細帳では家数136・人数579うち男310・女269,馬72(うち35疋米津出御用)種子籾は反当7升くらいで,品種はいせこぼれ・つくばりが主である当村は栃木方面から日光への脇往還筋に当たり,慶安年間頃すでに商人が集まり市立てが行われたが,その後途絶えたので,元禄6年領主宛に復活願が出されているまた元禄初年頃まで足尾の銅荷物は半田村から栃木川岸への道筋を通って運搬されていた元禄年間頃の江戸向けの主な荷物は炭・薪で,栃木河岸・惣社河岸・壬生河岸・亀和田河岸・小倉堰下に商人が勝手次第に附送っていた粕尾川・粟野川・大芦川を流してきた筏は当村を通過するため堰銭を徴収し,弘化年間頃筏乗1人に付100文であった(塩沢家文書)慶応4年4月5日,南摩村方面から世直しを呼号する打毀の一団が当村に入り込んで医王寺に1泊,翌日粟野へ向かった明治4年栃木県に所属同6年医王寺に啓蒙舎開設,就学者37(男31・女6)明治11年上都賀郡に属し,同12年北半田村と改称...

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

半田村(近世)
江戸期~明治9年の村名津軽郡田舎庄のうち津軽平野北部,岩木川支流十川下流右岸に位置する弘前藩領「平山日記」によると,「正保二酉年湊村派,此所其節十川尻落合ニ而船々往来,荷上等有之ニ付湊村と成る」とあり,この後寛文年間頃「湊村屋並東ノ方ニ十川村派,十川添ノ同名と成る,後福川と改湊村と成る,元ノ湊村ハ半田村と成る」と見え,当村は五所川原新田として開発され,はじめ湊村と称していたことがわかる延宝5年には五所川原新田15か村のうちに湊村が見える(津軽信政公事績)のち半田村と改称し,貞享4年以降は半田村とのみ記されるようになるが,同時期に隣接する福川村が湊村と改称し,半田村はこの新しい湊村の枝村とされたのち享保11年湊村から分村して独立した村となる(村名改称并新村創立調)村高は,「貞享4年検地水帳」では湊村枝村とあり156石余(田124石余・畑屋敷31石余),「天保郷帳」弘前本では123石余(うち文化9年改出新田57石余・文政2年改出新田66石余),「旧高旧領」191石余なお,「寛文高辻帳」「貞享郷村帳」などに湊村450石余と見えるのは,半田村と湊村をあわせた村高と思われるが,不詳「貞享4年検地水帳」によれば,小字に「ちどり・熊瀬・三田」があり,枝村である当村の反別は田14町6反余・畑屋敷6町8反余元禄3年には広田組に属し,村位は下(平山日記)用水は五所川原堰を利用している(津軽平野開拓史)元禄7年の諸職諸家業覚には,居鯖2人が見える(平山日記)享保20年には姥萢【うばやち】・湊・半田の3か村で漆木改を行ったところ,漆木・中漆・柴漆をあわせて2万本余があったというまた,安永4年五所川原村原庄兵衛が姥萢村から藻川村までの岩木川堤防に漆木などの植林指導を自費で行っている(同前)天明3年の飢饉に際し,徒党を組んで商家を襲う者があり,襲撃を恐れた商家などは窮民救済を行い,その折,湊・半田・姥萢の3か村は湊村の平山家の手当を受けている寛政12年には,御役家業として染屋1軒が見える(同前)明治4年弘前県を経て,青森県に所属明治初年の戸数12,村況は「当村は湊村の北側の西と東に住し,中に湊村の民家あり」という(国誌)同9年湊村の一部となる...

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

半田村(近世)
 江戸期~明治22年の村名...

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