- JLogos検索辞書>
- 広瀬(中世)とは
「広瀬(中世)」の関連ワード⇒ 赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世)
- amazon商品リンク
![]() | 広瀬(中世) 鎌倉期から見える地名 |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 広瀬(中世) 戦国期に見える地名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 広瀬(中世) 戦国期に見える地名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 広瀬(中世) 戦国期に見える地名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 広瀬(中世) 南北朝期に見える地名豊後国速見【はやみ】郡八坂【やさか】下荘中村薬丸名のうち八坂川の下流域右岸,現在の杵築市大字中の八坂川沿岸付近と思われるが比定地未詳康永3年7月6日の八坂下荘中村内忠氏知行分坪付注文案に,薬丸名の畠地分として「□(一)所壱段 広瀬打上〈南依〉」とあるのが唯一の史料(秋吉文書/大友史料6)八坂川の川瀬に近いことから起こった地名であろう近世杵築藩領に広瀬村があるが,これは八坂川左岸らしく,薬丸名内の広瀬と関係があるか未詳... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 広瀬(中世) 戦国期に見える地名三河国加茂郡のうち文明16年11月1日の如光弟子帳に「広瀬〈ヒロセ〉一箇所鴛沢末」と見え,当地に真宗道場があった(上宮寺文書/岡崎市史)これ以降も天正19年正月20日の上宮寺末寺連判状写に「〈ひろせ〉宗善」などと見える(同前)広瀬城のほか西前城と岩古城の2城いずれも広瀬城と呼ばれる現在の豊田市東広瀬町・西広瀬町付近に比定される... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 広瀬(中世) 鎌倉期から見える地名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 広瀬(中世) 南北朝期から見える地名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 広瀬(中世) 室町期から見える地名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」