ケータイ辞書JLogosロゴ 藤倉村(近世)


新潟県>松之山町

 江戸期〜明治22年の村名。頸城【くびき】郡のうち。はじめ高田藩領,天和元年からは幕府領。村高は,「正保国絵図」54石余,「天和高帳」53石余,「天保郷帳」108石余。天和3年の検地では,青苧畑3反余,漆木64本。天和3年高附手鑑覚控によれば,家数22うち禅宗正法寺・名子8,堰1か所。神社は十二神社。枝郷の中坪が西方湯本寄りの高地にある。安永9年の新田検地高29石余。中尾・湯山・天水島・東川の各村や中坪に懸持田を持つ庄屋勘兵衛の地主経営は古く天和年間からのものである。庄屋勘兵衛の分家九左衛門は縮布仲買商に金を貸付け,江戸後期にはその利潤で地主経営を行った。当村は天明3年・天保8年に飢人夫食米拝借願をしている。明治12年からは東頸城郡に所属。同22年布川村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7314633
最終更新日:2009-03-01




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