ケータイ辞書JLogosロゴ 藤橋村(近世)


新潟県>柏崎市

 江戸期〜明治22年の村名。刈羽郡のうち。はじめ高田藩領,天和元年幕府領,貞享2年高田藩領,寛保元年白河藩領,文政6年からは桑名藩領。村高は,「正保国絵図」501石余,「天和高帳」444石余,「天保郷帳」458石余。天和3年検地帳では反別35町余。文化年間「白川風土記」によれば,前は田に向い,後は山に拠り,東西5町・南北2町,家数58,用水は古町村鵜川堰の余流をもって320石余の田へ,軽井川村の流水を引き100石余の田へ注いだ。社寺は諏訪社・六社権現社・十二天社・観音堂・真言宗観楽寺がある。産物は薪土で,これは田の中土を掘って乾燥し,焼くと薪木と変わらなかったという。明治22年豊田村の大字となる。
解説文を自分にメール
メアド:Milana@docomo.ne.jp

(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7314659
最終更新日:2009-03-01




ケータイ辞書 JLogosトップ