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- 伏部村(近世)とは
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伏部村(近世) 江戸期の村名神埼【かんざき】郡のうち箕目ケ里【みめがり】ともいう城原【じようばる】川右岸の平野部に位置する地名は往古大蛇が生息し住民を悩ましていたので柏木を燻べ(伏部)て退治したという伝説に由来するという(神埼郡郷土誌)佐賀本藩領竹村郷に属す「玄梁院様配分帳」では神代鍋島家神代弾正が地米高122石,「大小配分高石帳」では鍋島弾馬が地米高122石を知行する村高は「正保国絵図」「天明村々目録」では222石余,「天保郷帳」では228石余「旧高旧領」には見えず鎮守は天満宮水利は横落水路による「明治7年取調帳」では竹村の枝村として箕目ケ里の名が見え,「郷村区別帳」では竹村の枝村に伏部村の名が見える |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」