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- 船倉村(近世)とは
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船倉村(近世) 江戸期~明治9年の村名葦北郡のうち球磨【くま】川支流百済来川の上流域に位置する支流山口川が合流し,南北は山嶺地名の由来は,往古,舟運による物資の集積倉があったと伝えることによるという北側の小高い立石峠を越えると床波という所に出る江戸末期までに久多良木村から分村して成立したと思われる熊本藩領村高は「旧高旧領」128石余南側の小高い台地は舟倉城跡といわれ,天正年間相良氏家臣愛甲尾張守常吉が在城したと伝える熊野神社・荒神社・山神社・阿弥陀堂・観音堂・大師堂がある「肥後国誌」では田浦手永に属し,高124石余熊本県,八代【やつしろ】県,白川県を経て,明治9年熊本県に所属同年木多良村の一部となる |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」