ケータイ辞書JLogosロゴ 舟代村(近世)


新潟県>新穂村

 江戸期〜明治10年の村名。雑太郡のうち。幕府領。村高は,元禄7年検地帳・「天保郷帳」ともに646石余。元禄7年検地帳では田616石余・34町余,畑9石余・9反余,屋敷20石余・1町余。「巡村記」によれば,天保12年の家数42・人数176,高646石余,田34町余・畑2町余,取米244石余。大野川舟運の中心地として河岸は栄えたが,陸上交通の整備につれて衰退した。寺社は,浄土宗舟城寺・真言宗十禅寺,聖真子権現・十禅師権現。寛延一揆の指導者後藤五郎右衛門は当村の出身。明治10年舟下村の一部となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7314747
最終更新日:2009-03-01




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