ケータイ辞書JLogosロゴ 船山村(近世)


新潟県>津南町

江戸期の村名魚沼郡のうち中深見村6か村の1つ信濃川支流の中津川下流右岸地名の由来は橅山【ぶなやま】の転訛とする説がある元和2年長峰藩領,同5年福島正則領,同8年幕府領,寛永元年高田藩領,天和元年からは幕府領村高は,「正保国絵図」では舟山村104石余,「天和高帳」121石余・新田59石余,「元禄郷帳」134石余天和2年検地では,反別田8町余・畑4町余元禄7年改村鑑によれば,家数23(組頭1・本家18・水呑1・寺2・神主1)・人数238,馬36鎮守は八幡社・十二社・天神社寺院は曹洞宗大竜院・同宗竜源寺なお,竜源寺では,のち安政3年長沢慎五郎を招き赤山義塾が開かれた宝暦5年新田検地で,田1町余・畑69町余が新たに打ち出された用水は万治元年開削の溜池を利用してきたが,年々干損があり,水不足を解消するために安政2年中津川から取水する船山大堰が設けられたのち大堰は文政12年大改修が行われる中深見村全体を統括する庄屋が中深見村に置かれ,当村には庄屋が置かれなかった江戸中期に中深見村の一部となったと思われるが(天保郷帳),その後も独立して扱われることがあった
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7314765
最終更新日:2009-03-01




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