ケータイ辞書JLogosロゴ 古町通(近世〜近代)


新潟県>新潟市

江戸期〜現在の町名明治5年からは1〜13番町がある江戸期は新潟町の1町片原通の西,寺町通の東に並行し,享保10年町絵図に南から神明町,二ノ丁〜六ノ丁,鍛冶町,十四軒町,慶応2年町絵図に十四軒町が新田町となり,明治3年の町絵図ではさらに北に橋下新田丁が見える元和3年堀直竒の町立て当初は本町と称され,二ノ丁〜六ノ丁辺りが最も古く成立したといわれ,絹布・小物・紙などの商家があった寛永15年塗物・紙類を四ノ丁で専売する許可を得たのは,新町(のちの本町通)の発展への対抗策であったまた天和2年旅籠は二ノ丁・三ノ丁に集中させられ,かつ宝暦年間以後は娼家も増えた神明町は神明宮(伝天正年間勧請)にちなみ,町は寛永11〜15年佐藤理右衛門の開発と伝え,明暦年間の家数26鍛冶町には鍛冶屋が集中しており,家数は天保14年22,元治元年には67明治5年古洲崎町を編入し,町内は1〜13番町に改編された同12年新潟区,同22年からは新潟市に所属明治12年頃二番堀・三番堀・四番堀・五番堀の各一部を編入松谷小路との交差点を中心に市の繁華街を呈している昭和2年一部が二葉町1〜3丁目となる
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7314806
最終更新日:2009-03-01




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