ケータイ辞書JLogosロゴ 平島村(近世)


新潟県>新潟市

 江戸期〜明治22年の村名。蒲原郡のうち。平島村古新田とも称した。はじめ長岡藩領,文久2年幕府領,同3年会津藩領,慶応3年からは再び幕府領。村高は,「正保国絵図」120石余,「元禄郷帳」「天保郷帳」ともに285石余。文化2年年貢割付状(片田家文書)には,古新田158石・外新田102石余・新田25石余とあり,諸役として紺屋役1軒分が見える。元禄13年刊行の親鸞逸話集「聚鈔」に,越後に流された親鸞が当地へ渡ろうとして信濃川を横断中暴風に遭遇,船首に六字名号の札を掲げたところ波が治まり無事渡河できたという「川越の名号」の伝説が記されている。天保3年当村と小新村間で,西川の渡し船の営業権をめぐって訴訟が起きている(新潟市合併町村の歴史1)。幕末の庄屋は鈴木家で,江戸中期に新潟町の金刀比羅神社神官鈴木家から分家したと伝える。神社は神明社。明治5年大河津分水工事の中止などを要求して一揆が起きた(大河津分水騒動・悌助騒動)。元会津藩士渡辺悌助などに率いられた一隊約6,000人は新潟県庁に押し寄せようとしたが,当村で鎮台分営兵と衝突,鉄砲の使用によって総崩れとなってしまったという(県史通史編6)。江戸期から信濃川の渡し船は,上流の寺地村(現新潟市)と鳥屋野村間で行われたが,俗に平島の渡しとも呼ばれ,明治期には渡し場の管理を当村が行ったという(新潟市合併町村の歴史1)。明治12年西蒲原郡に所属。同21年の戸数59・人口362。同22年下坂井輪村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7314821
最終更新日:2009-03-01




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