ケータイ辞書JLogosロゴ 程島新田(近世)


新潟県>中里村

江戸期の新田名魚沼郡のうち田沢村22か村の1つ清津川中流右岸地名は,古来の地名程島へ新田を開いたことに由来する明暦2年の開発はじめ高田藩領,天和元年からは幕府領村高は,「天和高帳」「元禄郷帳」ともに10石余天和2年検地では田畑屋敷合わせて反別1町余,のち宝暦6年新田検地では新たに14町余が打ち出された元禄7年改村鑑によれば,家数2・人数42,馬2鎮守は十二社庄屋は田沢本村に置かれ,程島新田からは時々山地10か村を代表する組頭が出た水田の多くは清津川沿いにあって流失・起返を繰り返した川が急流のため増水による流路の変化が大きく,対岸の重地村との間の境界争論もあった江戸中期以降は田沢村の一部となったと思われるが(天保郷帳),その後も独立して扱われることがあった
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7314937
最終更新日:2009-03-01




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