ケータイ辞書JLogosロゴ 本所村(近世)


新潟県>栃尾市

 江戸期〜明治22年の村名。古志郡のうち。はじめ春日山藩領,元和6年からは長岡藩領。村高は,「正保国絵図」126石余,「天保郷帳」172石余。天和元年高人別納物帳では家数26・人数139(宮島家文書)。寛延元年村鑑では小物成として真綿・青苧・大豆・小豆・雪菰・葛葉など(栃尾市史史料集7)。また,幕末期の農間余業は紬織り,家数40(守門糸車)。水田が全面積の68%を占め,山村であるが,水田が優越し,しかも,畑のほうは上畑がほとんどという状況であった。しかし村高の上昇以上に家数の増加が大きく,紙漉,炭焼きなどでも収入を得ていた。江戸後期に入ると山の木も切りつくし,長岡藩へ納める炭さえも他所から買い入れなければならなくなり,文政13年炭一揆には村民46人が参加。天明・天保年間の大飢饉や洪水のため何度も御手当米の貸付けを受けた。鎮守は巣守神社。明治22年上塩谷村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7314991
最終更新日:2009-03-01




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