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松橋村(近世) 江戸期~明治8年の村名会津地方東部,長瀬川下流西岸,猪苗代湖東岸に位置する耶麻【やま】郡のうち古くは更級荘に属したという会津藩領川東組に属す村高は,文禄3年の蒲生高目録では猪苗代郡に属し511石余,享保3年605石余(小林家文書),文化15年の村日記(県史10下)では605石余,「天保郷帳」583石余,「旧高旧領」584石余享保3年の家数50軒・人数217,馬26,文化3年の家数27軒,人数128,馬19(小林家文書)化政期の家数28軒(新編会津)肝煎は佐々木家の世襲寺院は真言宗恵花山金上寺鎮守は熊野神社堂宇に観音堂がある慶応4年の産物は初茸(猪苗代郷土誌稿)明治元年10月村役人排斥の一揆で休役となった旧肝煎は,12月に帰役願を民政役所へ提出した(小林家文書)明治8年小平潟村・中目村と合併して中小松村となる |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
松橋村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
松橋村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」