ケータイ辞書JLogosロゴ 松山村(近世)


新潟県>新潟市

 江戸期〜明治22年の村名。蒲原郡のうち。当村の枝郷に金鉢山新田・西山新田がある。慶長17年頃までに吉沢理左衛門によって開発されたという(資料大江山村史)。新発田【しばた】藩領。村高は,「正保国絵図」「元禄郷帳」ともに106石余,「天保郷帳」273石余。名主は吉沢家が世襲。文政13年の家数35(うち本家11・名子17・間脇7)・人数229(資料大江山村史)。鎮守は諏訪社。寛永10年高森村から移転した,真宗大谷派真光寺がある。「皇国地誌」によれば,戸数68・人口432,馬3,物産は米・麦・小麦・大豆・綿・藍・縞木綿・煙管,農間余業に商業を営むものが多く,女は機織を行っていた。明治12年中蒲原郡に所属。同22年山岡村の大字となる。
解説文を自分にメール
メアド:Milana@docomo.ne.jp

(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7315277
最終更新日:2009-03-01




ケータイ辞書 JLogosトップ