ケータイ辞書JLogosロゴ 真平新田(近世)


新潟県>守門村

江戸期〜明治8年の新田名魚沼郡のうち信濃川に注ぐ魚野川の支流破間【あぶるま】川中流左岸地名の由来は,まったく平らな新開地の意から起こったとも,また下段の低地に澗広【まひろ】の船着き場があったためともいう赤土村の新田で,「元禄郷帳」「天保郷帳」には赤土村枝郷と注記されている元和2年長岡藩領,同4年高田藩領,延宝9年幕府領,文久元年からは会津藩領村高は,「天和高帳」13石余,「天保郷帳」21石余天和3年検地帳では田7反余・畑9反余宝暦5年の家数3・人数29,馬1農業のほか,男は材木・木呂【ころ】・薪を切って四日町村河岸で商い,女は白布・小白布・紬・縮・木綿を織り養蚕を行うまた山漆木・里漆木があり,蝋実・蝋穂は領主の買上げとなる破間川には船渡しがある鎮守は赤土村の羽黒山神社慶応4年郷兵に徴集され,閏4月27日の小出島戦争に従軍して敗退する明治4年の戸数5・人口26同5年の租税は本途米3石余,小役9銭余同8年赤土村に合併
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7315307
最終更新日:2009-03-01




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