ケータイ辞書JLogosロゴ 三根山(近世)


新潟県>巻町

江戸期〜明治4年の陣屋所在地名蒲原郡のうち矢川左岸寛永11年長岡藩主牧野忠成は四男定成に対して蒲原郡の内6,000石を分知,旗本牧野氏となり,当地に陣屋を置き,三根山領と呼ばれた知行地を支配した牧野氏は文久3年,分知高から込高を打ち出し1万1,000石に高直りし,三根山藩を立藩三根山の地はもと長岡藩の持林であったものを,開拓平坦にして家臣団の住居地としたことに始まる地名は三方に根を張った形の丘陵地にちなんで名付けられた文久3年列侯昇格に際して近隣村落耕地を引き寄せ武家屋敷地を拡大西門・東門で一般の通行人を隔て内部には御殿・馬場を始め藩の枢要部をかかえ,その周囲を大小の武家屋敷で固めた地内には庁舎・作事所・救荒倉庫・仮牢・溝江を備え,明治維新前後には122戸の士族居屋敷が見られた現在も地内道路が鉤形に交錯しており,城下町の遺構を見ることができる戊辰戦争に際しては小藩のため辛酸を嘗めるが,その間本家の長岡に米100俵を送り,その義挙が讃えられた維新政府により土地替えを命ぜられるものの,結果的に500石を上知するにとどまり終息をみた明治3年丹後峰山藩と同名で紛らわしいため,願い出て藩名を峰岡藩と改めたこれにより三根山の地名も峰岡に改められた峰岡藩も明治4年廃藩置県となるのち新たに峰岡村が置かれることになる
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7315562
最終更新日:2009-03-01




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