真荻平村(近世)
江戸期〜明治22年の村名。頸城【くびき】郡のうち。はじめ高田藩領,天和元年からは幕府領。村高は,「慶長国絵図」42石余,「天和高帳」187石余,「天保郷帳」262石余。天和3年の検地では,反別田11町余・畑屋敷9町余・山林7町余・青苧畑4反余,漆木31本,屋敷数31。元文5年宗門改帳(安塚町歴史民俗資料館蔵)によれば,家数25・人数417,禅門2・座頭2。安永9年の新田検地高71石余。田植えはグルグル植えと称し,田の中心部から外側へ渦巻状に苗を植えた。本家が分家を,地主が小作を集めて行う大田植えには,ヤウチ・小作人は何を差し置いても行かねばならなかった。竹箕作りは,ミヤマから竹や藤つるを切り出し,盛んに行われた。信州との交易も盛んであった。神社は諏訪神社・十二神社。浄土真宗妙玄寺。明治5年の戸数195。同12年からは東頸城郡に所属。同22年真荻平村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7315829
最終更新日:2009-03-01