ケータイ辞書JLogosロゴ 葎谷村(近世)


新潟県>下田村

 江戸期〜明治22年の村名。蒲原郡のうち。はじめ村上藩領,寛永16年安田(村松)藩領,明治3年からは新発田【しばた】藩領。村高は,「正保国絵図」「元禄郷帳」ともに116石余,「天保郷帳」120石余。肝煎はしばしば交代。村松藩の人改め番所があった。番所の設置年代は不明だが,慶長3年にはすでに存在しており,肝煎が番所の下役に任命されている。村松領になってからは坂本家が番所役人として世襲。通行切手は森町組大庄屋が発行した。宝暦5年の飢饉には,森町組で最も大きな被害があり,行方不明・餓死者合わせて三十数名に達した。文化11年4月当村から一揆が起こり,村松領全域に拡大した。一揆後当村の七蔵・徳次郎が首謀者とされ処刑された。同年の家数43。鎮守は熊野神社。近世の一時期鉱山が開発された。明治12年南蒲原郡に所属。同21年の戸数41・人口189。同22年本下田村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7315836
最終更新日:2009-03-01




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