ケータイ辞書JLogosロゴ 本屋敷村(近世)


新潟県>中里村

江戸期の村名魚沼郡のうち貝野村6か村の1つ信濃川左岸地名の由来は,隣村の新屋敷村の村名にかかわるとされるはじめ高田藩領,天和元年からは幕府領村高は,「正保国絵図」59石余,「天和高帳」では貝野村の一部,「元禄郷帳」72石余天和2年検地では田畑屋敷合わせて反別7町余,のち宝暦6年新田検地で新たに16町余が打ち出された元禄7年改村鑑によれば,家数9・人数82,馬10鎮守は十二社・稲荷社善光寺街道西通りが通っている信濃川沿いの狭い台地上の村で,川の流域にも田畑があり,流失・起返を繰り返した庄屋は貝野6か村が輪番で勤める枝村に字小沢がある江戸中期以降は貝野村の一部となったと思われるが(天保郷帳),その後も独立して扱われることがあった
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7315862
最終更新日:2009-03-01




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