ケータイ辞書JLogosロゴ 宿田(中世)


新潟県>神林村

 鎌倉期から見える地名。越後国岩船郡小泉荘のうち。文永7年8月25日,惣領色部公長は子息の長茂に小泉荘牛屋条のうちの「作路以西」を,同じく子息の氏長に「作路以東」をそれぞれ譲与した(米沢古案記録草案)。この「作路以東」が宿田で,氏長が宿田氏の祖と考えられる。文保3年3月18日長茂の子長行と,氏長の子長直が「牛屋条与宿田村堺事」で相論を行い,和与が成立している(同前)。その後,文明15年12月13日惣領色部朝長が「相伝之所領」を松鶴丸に譲与しているが,その中に惣領分・浦分・牛屋役とともに「宿田分」が見える(光西寺所蔵文書)。また,永正6年9月11日の耕雲寺領納所方田帳には,「宿田堺」「宿田小島殿之分」「宿田七郎殿」「宿田殿之分」などが記される(耕雲寺文書)。永禄6年の色部氏段銭日記写によれば,宿田に御料所・寺社が存在していた(米沢古案記録草案)。「色部氏年中行事」には,「宿田の御百姓」がせちろ俵や鯖・芹・黒米・白米などを色部館へ上納し,12月晦日には門松を立てに色部館へ参上していること,「宿田之御白山」が強飯や酒・塩引・大根・昆布などを上納していること,9月19日岩船神社の祭礼に「宿田殿」が領主色部氏の次に弓を射ることなどが記されている(色部文書)。「慶長国絵図」には,色部氏の居館から橋を渡った道の両側に家並みを描き,家数161軒を記している。大智院境内には鎌倉後期の板碑2基などがある。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7315976
最終更新日:2009-03-01




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