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山越村(近世) 江戸期~明治22年の村名 |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
山越村(近世) 江戸期~明治7年の村名山城国葛野【かどの】郡のうち北東に音戸山,西に広沢池が控える常盤村辺より音戸山南麓を経て広沢池に出る古道は,都から嵯峨大覚寺に至る古道の1つで,千代の古道の名で平安期以来の歌枕となっている村名は,この古道の山越の地であることから名付けられたものか郷帳類に当村名は見えないが寛政6年の「山越村林名前帳」が伝存していることから,この頃から村は成立していたと思われる(井上家文書)さらに嘉永元年「山越村水帳」によると御室御所領で,村高73石余と見える(佐野藤右衛門家文書)寺院は浄土宗印空寺など明治元年京都府に所属同5年の戸数14(市町村合併史)同7年宇多野村の一部となる... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」