ケータイ辞書JLogosロゴ 湯本村(近世)


新潟県>松之山町

 江戸期〜明治22年の村名。頸城【くびき】郡のうち。はじめ高田藩領,天和元年からは幕府領。村高は,「正保国絵図」6石余,「天和高帳」16石余。「天保郷帳」40石余。天和3年高附手鏡覚控によれば,家数8うち名子2,堰1か所。安永9年の新田検地高17石余。本村である上湯本村の東南の谷中に下湯村がある。はじめ本村の者が農業の手すきに下湯村へ湯小屋を建て旅客を泊めたが,江戸中期以後は泉質がよく訪ねる客が増えた。文化14年諸国温泉効能鑑によると,番付は東前頭11枚目に越後松の山湯とある。天保3年では旅人宿が5軒あった。天明3年・天保8年に飢人夫食米拝借願をしている。神社は諏訪神社。慶応4年戊辰戦争の時に松代宿助郷として延137人の出役があった。明治5年の戸数62,その大半は上湯本村住。同12年からは東頸城郡に所属。同22年松之山村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7316331
最終更新日:2009-03-01




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