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- 湯谷村(近世)とは
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![]() | 湯谷村(近世) 江戸期~明治22年の村名 |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 湯谷村(近世) 江戸期~明治10年の村名伯耆【ほうき】国日野郡のうち稲積山西麓,日野川の支流湯河川・若松川の流域の山間地に位置する村名の由来は往古温泉が湧いたことにちなむ(伯耆志)鳥取藩領村高は,拝領高128石余,「元禄郷村帳」128石余,「天保郷帳」160石余(うち新田高32石余),「元治郷村帳」166石余,「旧高旧領」167石余元禄の本免は5.6,「元治郷村帳」の物成は83石余戸口は「伯耆志」37戸・205人,「文久3年組合帳」34戸枝郷に北坂がある東部の山際に清滝という滝があり,その傍らに観音堂もあり,景勝の地として遠近からの参詣者が多かったという(伯耆志)観音堂は多里村常福寺持砂鉄採取の鉄山は出立山に1か所あり,また鉛山もあった(同前)安政3年9月,地内から銅・鉛の鉱石が出土したため,上阿毘縁【かみあびれ】村の彦兵衛と木下万右衛門に試掘が許されている(県史12)「伯耆志」によれば,林8町余を有し,隣村へは東の上坂【こうざか】村へ2里余,西の多里村へ3町余,南の新屋【にいや】村へ15町,北の河本村へ4町,産土神は河本村にある若宮大明神,地内には小祠18・辻堂3がある明治4年鳥取県,同9年島根県に所属同10年河本村と合併して湯河村となる... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 湯谷村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 湯谷村(近世) 江戸期~明治11年の村名... |
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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
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![]() | 湯谷村(近世) 江戸期~明治10年の村名因幡【いなば】国高草郡のうち湖山池の南西岸,湖山川右岸に位置する地名の由来は,湯村の湯脈が当村の谷を伝わっていることによるという(因幡志)鳥取藩領古くは湯村の枝郷であったが,享和3年に地先新田として幕府に届出,天保5年分村した(藩史5)村高は,「天保郷帳」80石余(うち新田高8石余),「元治郷村帳」80石余,「旧高旧領」80石余元禄の本免は5.7,「元治郷村帳」の物成は35石余戸数は,「因幡志」7,「文久3年組合帳」6江戸初期および寛保年間以後に鉄砲禁止杭がたてられた(藩史5)「因幡志」によれば,隣村へは北の湯村へ4町,氏神は湯村にある新宮大明神,ほかに阿弥陀堂がある当村では,内仏を祀らず阿弥陀堂の本尊である阿弥陀如来を総仏として尊崇した明治4年鳥取県,同9年島根県に所属同10年吉岡村に合併... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」